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1楼主 、2009/5/27 14:49:00
田原さんといえば、79年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS)の生徒役でデビュー。
近藤真彦さん、野村義男さんとともに“たのきんトリオ”と呼ばれたビッグスターでした。
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母子家庭に育った田原さん、高校1年のときにアポなしでジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏を訪ね、研修生に合格したのだそうです。
そして、デビューするまでは毎週末、地元の山梨?甲府からレッスンのために東京まで通いました。
(以下引用)
「高校を卒業して、僕はそのまま合宿所で暮らすようになるんだけど、扱いは何でも最初から1番だったからね。
そりゃそうですよね。
低迷するジャニーズが僕らによって再生したわけで。
合宿所も今みたいな大人数じゃなくて、僕らしかいませんでしたからね。
僕は“長男坊”的な存在だったから。
本当に自由気ままにさせてもらいました」
(以上引用 週刊女性)
田原さんがデビューした当時は、フォーリーブスの人気がすっかり凋落し、変わってトップに躍り出た郷ひろみさんは人気絶頂期に他の事務所へ移籍、川崎麻世さんがいたもののブレイクには至らず…という時期でした。
文字通り、たのきんトリオが“救世主”だったのです。
そんな田原さんがジャニーズから独立したのは、デビュー15年目、94年3月のことでした。
(以下引用)
「ジャニーズは嫌いじゃなかった。ケンカ別れじゃないし。
でも、ジャニーズはあくまでティーンエイジャーのための会社。
ジャニーさんが可愛い男の子を発見する。スカウトする。面白がる。
みんなのお弁当を買ってくる。衣装まで運んであげる……。
今でも彼は、喜んでそれをやっていると思うんです。
タレントがある程度のキャリアを積むと、ジャニーさんはもう現場に来ませんよ。
僕の最後のほうも、光GENJIがいたり、SMAPを作り始めたりしてましたから。
33歳くらいでジャニーズを卒業したのは、ある意味、自然の流れだったんです。
でも辞めたときに、退職金が通帳に振り込まれたんですけど、思っていた額よりも少なくて、桁が1つ間違ってるんじゃないか、コレって(笑い)」
ただし、ジャニーズを出たことで、その後の田原の仕事が激減したのも、また事実。(中略)
「ジャニーズにいたほうが安泰だったとは思います。
事務所を離れてからは、テレビ局のプロデューサーとかがビビって
“田原俊彦とジャニーズのタレントを一緒の番組には出せない”
なんてことが起きました。
わざわざ去った人に協力する必要はない。
ジャニーズ帝国というのは、外に出て行く人間に対しては絶対的にNOなんですよ」
(以上引用 週刊女性)[PR]美容室専売品が最大40%OFF?![]()
この記事を読んで、管理人が一番驚いたのは、
「ジャニーズ事務所って辞めると退職金が出るんだ!」
ということでした(笑)
タレントさんって、個人事業主みたいな感じなのかと思っていたので…。
事務所と雇用契約を結んで、ギャラをもらう、といった感じの。
事務所によってそのあたりはいろいろなのかもしれません。
とりあえず、ジャニーズ事務所は、退職金が出るということは、給料があってボーナスがあって、…という感じなのでしょうか。
普通の会社員みたいで面白いですね。
それにしても、トシちゃんの“ビッグ”ぶりは相変わらずというか…(^^;)
テレビではあんまり見ないと思ったら、オファーが来ても断ってるみたいです。
歌って踊れる番組以外は興味ないそうで。
でも生活できるだけのおカネは、コンサートやディナーショーで稼いでるのだとか。
管理人の世代には懐かしいですけどね~、トシちゃん。
この辺りの世代がコンサートとかディナーショーとか行くんでしょうか。
最近はyou_not_tubeで『抱きしめてTONIGHT』の動画にアクセスが集中して60万回を超える再生数になったそうですが。
まだ需要あるんですね~、ビックリ(^^;)
8 = =2009/5/27 20:04:00
我3L,我没表达清楚,我自己想买,想找代购
要是没人团的话,我只能自己找个人代购或者直接cj
无责任翻译:
前J家成员,田原俊彦出了本自传『職業=田原俊彦』,爆Johnnys帝国内幕?
田原于79年、参演电视剧『3年B組金八先生』(TBS)学生角色出道。
与近藤真彦、野村義男一起被称为“たのきんトリオ”,曾经红极一时。
单亲家庭长大的田原在高中1年级的时候主动登门造访Johnnys事務所的Johnny喜多川先生、合格成为了研修生。
然后,出道前每周都要从家乡山梨甲府赶到東京参加培训。
(以下引用)
「高中毕业后,我就这样过着合宿生活、扱いは何でも最初から1番だったからね(看不懂)。真的是这样。
因为低迷时期的Johnnys是靠我们才获得重生的。
合宿的地方也不像现在这样有很多很多人,只有我们而已。
因为我是像“長男坊”一样的存在。
做什么事情都很自由」
(以上引用 週刊女性)
田原出道时是这样一个时代,four leaves的人气已经跌了不少,跃然登上top的乡广美在人气绝顶的时候移籍到其他事务所,而川崎麻世的人气也一直没有突破…。
如书中写的那样、たのきんトリオ是“救世主”。
田原从Johnnys独立出来是在出道第15个年头、94年的3月。
(以下引用)
「并不讨厌Johnnys。我们是和平分手的。
但是,Johnnys说到底始终是一家重心放在少年(teenager)身上的公司。
Johnnys先生自己挖掘可爱的男孩子,培养他们,逗乐他们。
为大家买来便当。甚至还帮忙递衣服……。
我觉得直到如今,他仍然还会做这些事情。
艺人的事业一旦有了一定程度的积累,Johnnys先生就不会再来现场了。
在我最后的时期、有光GENJI,SMAP也正开始培养。
33歳左右从Johnnys毕业,从某种意义上来说,也是顺其自然。
但是辞职的时候,虽然给我的账上打了退休金,但是比想象中要少,心想是不是少了一位数啊(笑)」
然而,离开Johnnys之后,田原的工作一下子减少了,这也是事实。(中略)
「还是呆在Johnnys的日子比较安泰。
离开事務所之后,电视台制作人等都惊慌了
“不能播出田原俊彦与Johnnys艺人一通出演的节目了”
发生了这样的事情。
没有必要再给离开的人提供帮助。
Johnnys帝国对待走出去的人绝对是说NO的」
(以上引用 週刊女性)
后面是bo主的个人读后感,不翻译了
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