「後悔はしたことがない」というブログを拝見して知ったのですが、
先月末、何やら中スポの記者が凄いコラムを書いてたそうで(^^;;)
紙面のみの記事なので、「後悔はしたことがない」さんの記事から
コラムの内容は引用させて頂きます。
江川悠記者のコラム(中スポ) KAT-TUNがパーソナリティーを勤める24時間テレビの製作発表後の囲み取材でのこと。 記者のひとりが「ちょっと堅苦しい質問になりますが・・」と前置きして いざ質問に人ろうとすると、あるメンバーが 「いや、ちょっと勘弁してください」 といきなり質問をさえぎった。 さらに別の記者が「KAT-TUNらしさをどう表現してますか?」と 問いかけるとそのメンバーは 「そういうの特にないんだよね」と不機嫌そうに即答。 気まずい雰囲気になり報道陣が沈黙すると、 彼は「もう取材終わらせていいっすか?」とひとこと。 他のメンバーがまじめに対応していたにもかかわらず、 一人でタバコをふかして我関せずだった。 彼に言いたい。「あなたにはスター性が十分にあるが、 あまりに失礼な態度ではないか」 周囲のスタッフが注意する必要もあるが本人が気付くしかない。 そしたら彼はもっと大物になれるはず。 担当の記者として、彼の将来の為にも言わせてもらいたい。 「もう少し社会勉強をしなさい!」
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江川悠という人間のフィルターを通した情報だし、
前後の流れや、ニュアンスで、印象は違うだろうし、
この出来事を100%正確に知ることは無理だろう。
しかし、このような記事を、
ジャニーズ事務所と友好的な「中日スポーツ」が掲載し、
ジャニーズ担当の「江川悠」という記者が書いたことだけは
紛れもない「真実」と言える。
また、ジャニーズ事務所が「否定」も「告訴」もしていない所を見ると、
大まかな流れは「真実」なのだろう。
大事な仕事相手のネガティブな記事を書くことは、
商業的には大きなリスクとなる可能性を秘めているにも関わらず、
この記事が載った「意味」を真摯に受け止めるべきだろう。
本当の「報道」
ネット上では、
態度の悪いKAT-TUNメンバーへの「批判」や「犯人探し」とともに、
直接言わず、紙面に書いた記者を批判する声も多く見かけた。
では、このコラムが「こんなことがあって、とても気の利く好青年たちだった」
といったような内容だったらどうだろう。
そのような記事を見かけることは少なくないし、
それに対し、誰も「一部分だけを採り上げて書くな」とは言わないだろうし、
「直接言うべきで、記事にすべきじゃない」とは言わないだろう。
いつのまにか、大手スポーツ新聞は、
「芸能人の良いことだけ」を書くメディアに成り下がり、
良いことも、悪いことも、ひっくるめた「真実」を伝えていなくなっていることを
証明してしまった出来事と言えるだろう。
「彼を取り囲む空気」への批判
この記事を読む限り、報道陣の醸し出していた「気まずい雰囲気」は
やんわりとした「直接的な反応」であって、
それを察するのが「普通の社会人」だと思う。
その「空気」を察知出来ない「彼」も、
注意やフォローの出来ない「スタッフ」も、「他のメンバーたち」も、
「社会人の対応」として欠如していたと思う。
「江川悠」や「中日スポーツ」を批判される方は、
彼が「最後の手段」を取るに至った心境を想像して欲しい。
記事の最後に書いている通り
「KAT-TUN」ごときのために、記者生命を懸けた「愛情」だったのか、
「真実」を伝えるという「本来の報道の姿」に目覚めたのか、
はたまた違う目的があったのか。
もちろん、この記事に書かれた「KAT-TUN」と「そのスタッフ」が
「100%の姿」ではないだろう。
しかし、良い記事に書かれた「KAT-TUNの姿」も「100%の姿」ではない。
それを判断するのは「読者」であって、
「ネガティブな記事」は書くべきじゃないという考えは、とても不健全に思う。
今朝の「スーパーモーニング」の亀田親父じゃないが、
「無礼」が「個性(=スタイル)」では、せっかくの才能を持っていても、
「無礼」に寛容な人にしか支持されなくなるだろう。
「不良」や「エロ」が持てはやされる現代じゃ、
そっちのほうが多数派になってしまったのかもしれないが(苦笑)