★開放区(28)期☆水草君ヘLIVE Unbuttoned!

1927条,20条/页

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3018.27发表于:2008/8/28 0:34:00

打断下,那个近期去日本的别忘去膜拜一下

日本的levis福利太好了!!!那是整面墙啊~~~

http://blog.goo.ne.jp/halu09510


302*——*发表于:2008/8/28 0:36:00

默默飘过,只想说,用前用后不就是攻或受的意思么

邪恶笑着os,某人你就表太瀑殄天物了吧

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要攻,位子在前或在后都可以,只是姿势上的问题。。。。


303福利太好了~~发表于:2008/8/28 0:40:00

等身大等身大等等身大等身大!!!!!!

304- -发表于:2008/8/28 0:44:00

合作过的都会想送东西给他做纪念。

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真的,而且这人相当有大叔缘,很招前辈疼

总觉得平辈或后辈可能会有点怕他吧,嘛,就是那种感觉


305要我是前辈发表于:2008/8/28 0:46:00

有个后辈礼貌又好,能力也不错加上长得也讨喜

不喜欢很难


306-v-发表于:2008/8/28 0:49:00

但是凡事太认真给人压力很大,前辈还算收敛的,后辈真的有怕他……


307发表于:2008/8/28 0:52:00

比较同情和他共事但又达不到他要求的人

因为我自己不用和他共事嘛

所以就很没良心地觉得这点很喜感


308-v-发表于:2008/8/28 0:57:00

共事的人会很累呐,他是对别人要求高,对自己要求更高的类型……

309。。发表于:2008/8/28 2:42:00

默默飘过,只想说,用前用后不就是攻或受的意思么

邪恶笑着os,某人你就表太瀑殄天物了吧

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要攻,位子在前或在后都可以,只是姿势上的问题。。。。

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我说的是啊,不是在啊XD

咱们这的levis啥时候能看到海报呢


31003年发表于:2008/8/28 3:10:00

去的是gay club, 里面应该没有变性人吧。

311- -发表于:2008/8/28 7:13:00

好像是人妖酒吧

3128/28发表于:2008/8/28 12:08:00

vol.161 emotion
木村が演じた朝倉啓太の最後のスピーチは22分半もの語り継がれるべき名シーンに。途中、思わず涙する姿は「change」の最終回を感動的に盛り上げた…。そのとき、木村自身が感じていたこととは…。

いろんな感情をじゅうぶん味わったほうがいい


最初脚本(ホン)を読んだ階段では、ただフツーに、「なんだ、これ…長えな」と不満に等しいくらいの気持ちだった(笑)。自分がああいうふうになるとは、まったく一切思わなくて。“できるか、Dきないか”の世界。でもそこまで自分の役をやってきて、いろんな人が参加してくれてて、協力してくれてて…。そうおもったら、それを“できるか、できないか”にしちゃったら、今までやってきたことがウソになってしまうような気がした。だから、とりあえず「自分なりにやってみよう」と。内容としては、別に難しいことは何ひとつない。彼が国会議員になる前に、どういう人間だったか、それから総理に就任してから50日目っていうところに来るまでの流れを直に自分の口から表現しただけで、新しいことは、“国民主権”について話した部分だけ。監督には「改めてお詫びします」って頭を下げるシーンは、彼がそうすることの意味がちゃんとそこに存在してないとダメだよねっていうパスを受けていた。その上で「んじゃリハーサル行きましょう」ってドライ(カメラなしのリハーサル)をやったんだけど、そこで初めて“セリフを覚える”という作業から“人に伝える”という作業に変わるでしょ。そうしたら、話をしているうちに、本当に悔しくなってきて、とても気持ちがぐわわわわーっと動いて。それこそ自分の周りで動いてくれていた人たちのことを言葉で表現しようとしたとき、なんかしゃべれなくなっちゃって。んで「今、俺こうなっちゃったんだけど、いいのかな?」って監督と話したときに「いいんじゃないの。それは抑えるものではないし、もっとそうしろってことでもないから」と言ってくれて。自分でも、びっくりしたんだよね、ああいうシーンになったことには。もっとほんとにわかりやすく淡々と終わるのかなって思ってた。でもこれは、監督も言ってくれてたんだけど、本番よろドライがいちばんよかったみたい…。

ひとつの作品の中で、ひとりの人物の感情(エモーション)を表現する。そんな中で毎度毎度、自分がやっているアプローチは、その人を“生きちゃう”っていうこと。描かれている、その空間の中で生活しちゃうというか。そうすると感情も勝手についてくる。だから泣く演技は笑う演技は…とかってパーツの問題じゃない。人間の生き方そのものを納得して入っていくというほうが、ずっと比重が大きいと思う。そういう意味では今回の朝倉啓太は、すごく生きやすかったですね。ただ、美山さん(深津絵里さんお役)への対した方については「やっとかよ!?」っていうじねったさはあったけど(笑)。最後の美山さんとのシーンも脚本には「そばにいてください」、「いるじゃないですか」、「ずっとです」ってやり取りがあって、美山さんが「はい」って言ってくれる。「私の夢は今かないました」って言葉に対して「よかった」ってところまでしか書いてなかった。でもなんかあのときほんんとにライブなんだけど、そこで手を差し出したら、美山さんが握り返してくれて。で、あのままあの距離で終わっちゃうと「次のシーンに行きづれえな」って思った。だから本番で握った手にぐっと力を入れたら、ヨタヨタヨタって彼女がそばにきてくれたから。「このシーン使うのかな?」って思ってたんだけど。それを「じゃ、あれアドリブなの?」って言われたら、それは、また違うんスよっていう。要は、その脚本の流れがあって、ふたりの関係性があって気持ちのキャッチボールがあった上で生まれた動きだから。

朝倉啓太のように、自分が“生きた”人物の中に、やっぱり素の自分自身もどこか反映されている。作品を通じて木村拓哉という人間を同時に受け取ってもらえたらうれしいし、自分なんかはやはり、それおを目指していたいと思ってる。だからこそ、ふだんから重箱の隅をつつくような細かいことから何から、いろんなことを見て感じていたい。現場でも、そんな経験があった上で「この人物はこのときこう思ったんじゃないか」そんなことをスタッフと話し合ったりする。通常こんなに人の感情について話す機会ってないんじゃないかと思うくらい細かく。これは脚本に描かれたフィクションだけど、ある意味血の通った人物が存在してるからこそ感情を込めてできるんだよ。たとえば、ちょっと乙女チックな雑誌とかで恋愛相談みたいなインタビューを受けることもあるんだけど、そのときのほうが違和感はある。「なんか俺、不思議なことをしゃべってるな」って。そういう場に参加させてもらったときには「今の女のコたちはこんなことを考えてるんですけど、どう思いますか?」っていう質問のされ方をする。反射的にそのとき思ったことを答えるんだけど、実際に、その悩みを持っている女性が目の前にいるわけじゃない。だから変な話、そこはフィクションの世界より遠い感じ。相談を受けるなら、やっぱりその人の目を見ながら、気持ちを感じながら答えたいと思うんだよね。

日々、いろんな感情を味わえるのはぜいたくなこと。喜びとか楽しさとかポジティブなものだけじゃなくてね。悲しさ、悔しさ、寂しさ、そんな負の感情も思い切り感じたほうがいい。もちろんオンタイムでその中にいるときは最悪だけど。でも、その感情を経験したり、その時間をすごしたりしたあとの人は、それなりの人になれると思う。だからこそ、人の気持ちも理解できるというか。助け合える力量も生まれるんだよ。喜怒哀楽、分量はもちろん調整していいkど、どの項目も、かけちゃいけないと思うんだよね。


“器の大きい人って言うけど”
自分はそんな物は
持っていません。
もしも転んでしまったら割れて
しまうし、ヒビは入るし。
持っていたいの“ぷにょぷにょ”な
多きい心です

拓哉

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正在翻译,我觉得这对于拓哉的演员生涯来说是一篇非常重要的表演论文章

所以把原文打上来,等下上翻译,有错和商讨的地方请指出


313谢谢发表于:2008/8/28 12:17:00

蹲等翻译,谢谢


314= =发表于:2008/8/28 12:27:00

严重期待

315期待发表于:2008/8/28 13:17:00

期待,谢谢善心人^^

31600发表于:2008/8/28 13:29:00

谢谢312楼!

有原文,还会有翻译.

真是太好了!


317==发表于:2008/8/28 13:42:00

謝謝312TX!蹲等翻譯

318同等发表于:2008/8/28 14:14:00

幸福时光

3198/28发表于:2008/8/28 14:39:00

vol.161 emotion

木村扮演的朝仓启太最后长达22分半的连续演讲的名镜头。半当中,他不禁掉下眼泪的样子使《change》最终回达到了感动的高潮……。那时候,木村自己所感受到的是……。

应该充分体味各种感情

最初在读剧本的阶段,只是普通的“这什么呀,太长了”等同于不满的情绪。(笑)我一点也没有想过会变成那样的镜头。这是个“能做或不能做”的世界。但是自己把角色演到这份上,很多人加入到作品中,协助我……。想到这些,如果把它当成“能做或不能做”的话,我觉得至今所做的一切就成了谎言了。所以,无论如何我说“那就以我的风格来尝试下吧。”内容上完全没有难点。他成为国会议员之前是怎样的人、然后到就任总理的第50天当中发生的事情,只是将这些通过自己的口直接表现出来而已;新的内容,只有解说关于“国民权利”那个部分。“再次向各位由衷道歉”低头谢罪的镜头,导演跟我说如果不能充分表现出他(启太)的道歉意愿就不能过。然后,导演说“那么来排练吧”,就做了一次试演(try,没有镜头拍的排练);那时开始才是正式将“记住台词”转向“传达给观众”的工作吧。在试演的过程中,说着说着,我就变得真的很懊悔,感情一发不可收拾。然后在说到自己周围的人为自己工作的时候,变得说不出话来了。我对导演说“刚才演成那样,可以吗?”,导演说“不是挺好吗?不要去抑制它,也不需要做得更过”。最后变成了那样的镜头,我自己也吓了一跳。我想是不是应该演得更让人明白一点,淡然地结束。但是导演也这么说,比起正式拍,排练的那遍最好。

在一部作品中表现一个人物的感情(emotion)。每次我表演的途径,都是让这个人“活起来”。像剧本写得那样,让人物在这个空间里生活起来。这样的话感情才能随意驰骋。所以这并不是笑的演技、哭的演技这些零件的问题。我觉得:能够理解接受并实践那个人物的生活方式,所占的比重非常大。这层意义上,这次的朝仓启太是一个很容易活起来的角色。只是,他对美山(深津绘理饰)的接触方式,有种“终于开窍了”的别扭。(笑)最后与美山的镜头,“请在我身边”、“不是已经在了吗?”、“我说永远”这样的对话,然后美山说“好的”、“现在我的梦想已经实现了”,(启太)回答“太好了”,剧本就止于此了。但是那个时刻,虽然真是现场表演,我在那时伸出了手,美山居然回握了。然后我觉得以那样的姿势那样的距离结束“很难进入下一个镜头啊”。所以,正式拍的时候,我忽然用力拉她握住的手,她摇摇晃晃地靠到我身边来。我担心“会不会用那个镜头啊”。被说“那个又是即兴发挥吗”,我回答说不是啦。重要的是,剧本有它的发展,那是在两人的关系基础之上,在感情的catch ball的基础之上产生出来的行动。

就像朝仓启太一样,我自己在“活起来”的人物当中,在某个地方反映着不加修饰的自己。通过作品,如果这个叫做木村拓哉的人也能够被大家同时接受的话,我感到非常高兴。我果然还是以这个为目标的。正因为如此,我希望平时就像在鸡蛋里挑骨头那样细致的地方或者什么地方细致地观察、入微地体味。在拍摄现场,我也在有了这样经验的基础上与staff讨论“这个人物在这个时候会不会这样想?”。细致入微到让人觉得“通常不会有这样去讨论人物感情的机会吧”。这个剧本所写是虚构的事情,某种意义上只有有血有肉的人物存在才能够投入感情。比如,我曾经接受过少女风的杂志有关恋爱商谈方面的专访,那个时候我就觉得很不自然。“我怎么在说那么不可思议的话”。参加这样的访谈时,总被问“现在的女孩在有这样的烦恼,请问你怎么想的”这样的问题。虽然我回答了自己条件反射想出来的答案,但是其实这位有烦恼的女性不是更应该在我眼前吗?所以虽然这种说法很奇怪,我觉得那个采访现场比虚构的世界还要远。接受商谈,我还是想要一边注视着对方的眼睛感受着对方的想法来进行回答。

每一天,能够体味各种感情是一件奢侈的事情。喜悦、高兴,当然不仅仅有积极的感情。悲伤、懊悔、寂寞,我觉得也要狠下心去感受这些负面感情。当然在沉浸这些感情中的时候真的是糟糕极了。但是,我觉得体会了这样的感情、度过了这样的时刻的人才能成为一个恰如其分的人。正因为如此,才能做到所谓理解他人的心情。从而产生互相帮助的力量。喜怒哀乐,当然各自的分量可以调整,但是哪一个项目都不能缺。


所谓“器”量大(有才干的意思)的人
我自己没有那样“器”
如果摔下来,会破掉,会有裂纹
我想拥有的是一颗有包容力的柔软的心

拓哉


320= =发表于:2008/8/28 14:46:00

谢谢,慢慢看


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